安易に転職をしてしまったという反省

こんにちは。


僕はこれまで転職を5回していますが、一般的な転職の鉄則というのがあって、要は次が決まってから会社を辞める、というのがあります。
順番としては、転職活動する→決まる→今の会社に辞めることを伝える、というルール。
僕もこの鉄則に原則従ってきました。


でも例外もあります。直前の転職活動(今の会社に転職する際)はこの鉄則をあえて無視しました。つまり、(先に)会社に辞めることを伝える→転職活動する→決まる、という順番です。


ではなぜあえて鉄則に背いたのでしょうか?
それは実は当時から「(サラリーマンだけの人生ではなく)働き方を変えたい」という想いがすでにあって、一旦やめてから今後のことをゆっくり考えよう、と思ってたからです。要はとりあえず辞めて、じっくりと自分の人生に向き合うつもりでした。鉄則クソくらえです。


でも顛末としては、結局すぐに転職活動をして、運よく決まって、(決まったし)まあいっか、という感じでふつうに転職する、という選択をしました。

厳しく言えば、せっかく自分の人生についてちゃんと向き合おうと思ってた矢先に安易に転職を決めてしまったという感じです。


たぶん、レール(世の中のあるべき論)から外れるのが急に怖くなったんだと思います。今思い返せば。お金とかもろもろです。結局、これまでとおりのやり方(転職という現状維持)を選んだのです。もっとも他人から見れば転職そのものは大きな変化なのかもしれませんが、僕からすればそれは「静観な道」を選んだのだと思ってます。


で、それから約2年経って今もサラリーマンをやっていますが、やっぱり自分の想いが変わることはありませんでした。やはり働き方を変えたいのです。もちろんキャリアとしてはこの2年は無駄ではなかったですが、そういう問題ではないです。


次は周りに流されるな。自分に言い聞かせてます。


未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる

未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる





合わない相手はどこにでもいるもんだ

こんにちは。


合う人合わない人ってやっぱりいますよね。僕の今の状況で言えば、直属の上司は比較的合うので上手くやってるんですが、その上の上司(部門長)とは全く合いません。


僕の中で「合う」というのは、自分の意見を素直に言えるかどうかがポイントになります。その部門長にはなぜか意見を言えません。反論されるから萎縮してる、とかでもないんですがなぜか目の前にすると意見を出しづらい雰囲気となります。なんかしっくりこない。やりづらい。なんでかなぁ、とずっと思ってました。多分、その方が普段、人の目を見て喋ってくれないからだ、とはなんとなく気づいてますが、答えは出てません。


そんな人周りにいませんか?
これは好き嫌い、ではありません。ちなみにその上司は「嫌い」ではありません。「合わない」のです。


一時はそれに悩んだこともありますが、最近はかなりどうでもよくなってます。だからそういう相手には対面ではなくてメールで済ませれるものはメールで済まします。これも処世術です。


合わない相手には無駄に気を使わず、ほどほどの対応を。これ、鉄則です。



書評「日本のみなさんにお伝えしたい48のWhy」

こんにちは。

 

 

日本のみなさんにお伝えしたい48のWhy (ぴあ書籍)

日本のみなさんにお伝えしたい48のWhy (ぴあ書籍)

 

 

 

これを読みました。

 

著者はご存じ、IT企業の役員&芸人である厚切りジェイソンさんです。内容はタイトルとおり、(悩める)日本人への熱いメッセージ集です。一問一答形式ですので読みやすく、一時間もあればサクッと読めてしまいますが、いくつか心に刺さるメッセージがありました。

 

 Q「努力を継続させるために必要なことは?」

A「継続すること。ただただやれよ。なんで続けようとしないの?」

 

ジェイソン氏は歯磨きを例に、歯磨きは毎日やるのになんで他のことは継続できないのか、努力の定義が違いすぎる、と説きます。

 

確かに歯を磨く、髪を洗う、とかめんどくさいけど毎日やりますね。それと同レベルの定義で他のこと(英語の勉強)もやれば良いのだと思います。英語の勉強とか続かないのは、それを大きく捉えすぎてるから続かないってことなんですね。

 

Q「養う家族がいたら失敗できない」

A「言い訳にすぎない。最低限の生活費を確保したあとに、まだいろいろ試せることができるはず、やろうと思えば。けっこう頑張らないといけないけど。」

 

ジェイソン氏は言い訳いうな、とカツを入れてます。家族の人生でもありますが、自分の人生です。本当にやりたいことがあるのなら、まずは家族とよく話し合うこと。多くの方はここを疎かにされているのではないかと思います。

 

起きた瞬間、何を考える?「今日は嫌だな」で始まる日が続いていたら、そろそろ軌道変更を考えてもいいのでは?「嫌だな」の朝の多い人生はもったいない。朝からわくわくしたい。

 

実はこのコメントが一番心に刺さりました。朝起きた時の気分って、確かに具体的なひとつのバロメーターだと思います。


僕の場合、朝起きて「嫌だな」と思う大半の理由は他人の評価を気にしてのもの。例えば「〇〇会議だるいな。Aさん、また批判してくるやろな。」とか「△△の提案書、Bさんの反応が怖いな。」とか。結局、仕事そのものではなく、他人の評価を気にしてるんです。

 

ジェイソンさんもこの本を通して、他人の人生ではなく、自分の人生を生きろ、と伝えています。

 

一度きりの人生、無駄にしない、自分は主人公。他人にどう思われてもいい。

 

このメッセージに尽きると思います。

 

 

 

 

やっぱ欧州の雰囲気って良いすね

こんにちは。

インフルで寝込んでいるときは、冗談抜きにテレビやスマホやら何も見ることが出来ないほど衰弱してたのですが、その中でもまだ体調がましだったタイミングでこの映画を細切れではありますが観ることが出来ました。


以下、あらすじです。
物語の始まりは、ある鑑定依頼。引き受けたのは、天才的鑑定眼をもち、世界中の美術品を仕切る一流鑑定士にして、オークショニアのヴァージル・オールドマン。
それは、資産家の両親が亡くなり、屋敷に遺された絵画や家具を査定してほしいという若い女性からの、ごくありふれた依頼のはずだった。
ところが──依頼人は嘘の口実を重ねて決して姿を現さない。ヴァージルは不信感を抱くも、屋敷の床にもしそれが本物なら歴史的発見となる、ある美術品の“一部”を見つけ、手を引けなくなる。
やがて、彼女が屋敷の隠し部屋で暮らしていることを突き止めたヴァージル。
決して部屋から出てこない彼女と壁ごしのやり取りを重ね、我慢できずに姿を覗き見たヴァージルは、美しいその姿にどうしようもなく惹かれていく。ところが、ある日、彼女が忽然と姿を消す─。
果たして奇妙な鑑定依頼の本当の目的とは?ヴァージルの鑑定眼は本物か、節穴か?
謎はまだ、入口に過ぎなかった──。


AmazonVideoでプライム会員だから無料でした。
いや〜、面白かった。

ストーリーもさることながら音楽含め全体の雰囲気が最高です。また欧州に行きたくなりました。
特に映画の最後でチェコプラハが出てくるのですが、個人的に思い出のある場所でもあり、主人公にすごく感情移入してしまいました。


プライム会員の方は是非一度鑑賞してみて下さい。










どんだけ休んでも会社恋しくはなりません

こんにちは。


今日も結局会社を休んでしまいました。
行こうと思えば行けたけど、解熱後2日はうつす可能性があるとのことで念をとって休みました。
だって無理して行ってうつしたとか言われても嫌なんで。


とはいえ業務はたまってるので在宅勤務な感じで仕事再開してます。でも有休取得は変わらんのですが、、、。


にしても今週ほとんど会社休んだわけですが、こんだけインフルエンザで辛い目にあったので、「早く元気になってオフィスに出社したい!」とかちょっとでも思うかな、と自分でも期待してたんですが、結果は全くそんな気持ちになりませんでした


会社嫌なものは嫌なんですね。

体調を崩すとルーティーンが全て出来なくなる

こんにちは。


以前のブログでインフルに関するネタを書いたとこでしたが、まさかのまさか、この週末から体調を崩し、診断された病名は「インフルエンザB型」でした。


ということで今の今までほとんどただひたすら寝る、という生活を送ってました。いやはや、本当に寝るだけ。ポカリと水しか飲んでないし。


会社も一応今日まで休みもらってます。メールも見ようと思えば見れますが、その元気なく全く何も出来てません。出社後が怖いです。


にしても病気すれば普段当たり前にしていることが全て出来なくなります。今回、思い知らされました。もちろんブログも途絶えてしまいました。


ここ数年はインフルエンザをなめてたこともあって、予防接種とかしてなかったんですが、来年からはちゃんとしよう。大いなる反省です。

大企業の社員は恵まれているのか

こんにちは。


大企業の社員は恵まれているから基本的には会社を辞めない、という類の話はよく出てきますね。理由は給料と福利厚生がしっかりしてるから、というものです。


確かに法人企業統計によると大企業の平均給料は709百万円で、社会人平均給料478百万円より231百万円も高いです。その意味ではかなり恵まれていると思います。世間一般からすればもらい過ぎかも知れません。


でもそんな大企業を僕はバンバン転職してきました。理由は大企業特有の窮屈さが僕には耐えれなかったからです。特有の年功序列、意味のない極端すぎる上への配慮、意味のない前例に従う社内行事などなど。僕には無理でした。


まあ僕の場合は賃金の旨味を享受する前に会社を去ったというのはありますが、福利厚生とかのメリットを遥かに凌ぐ社蓄感デメリットに耐えれなかったです。


僕の実感としては大企業というより老舗企業にその傾向が特に強かったという印象です。


どことは言いませんが、とある老舗企業に在籍してた時、海外駐在者の出発と帰任時に空港に見送り/出迎えをする慣例があって、面識あろうがなかろうが、土日であろうがなかろうが関係なく、業務命令で空港まで行かされてたことがあります。来てもらった方も迷惑ですよね。
こんな業務、後にも先にもここだけです。時間の無駄感が半端なかった。


あと根回し地獄。社内政治が強すぎて、業務も大半はそっちに意識が言ってます。それだけで疲弊します。社内調整をしていけばいくほど原型をもはやとどめません。で、その結果、全員の総意であるアウトプットをみたら「ナンジャコリャ?」みたいなものになってて、かつ、それがその後の絶対的ルールとして君臨したり。悲劇です。


ということで単純に給与が良いから、という理由で大企業が恵まれている=会社辞めない、という理屈はシンプル化し過ぎに思います。

多くの方(特に年配者)は「今更辞めれない」というのが本音なんでしょうね、きっと。